超高齢社会における男女関係のマルチステージ化の一例

 最近、在宅酸素を導入し、通院が困難だろうからと訪問診療にした患者がいる。

 その患者の自宅を訪問すると、窓が大きく開かれていて、その小さめの庭にはよく手入れされた植木や草花とちょっと場違いなミニトマトが植えてあった。低い塀の先には畑、さらにその先に蔵王の山並みが眺められる。患者は妻とふたりで庭を眺めながら楽しそうに待っていた。あまりにも穏やかな表情だったので、訪問診療でなくてもよかったかと感じたほどだった。妻は甲斐甲斐しく患者の世話を焼き、奥の部屋から予防接種の書類を探してきたりもした。夫婦でこんな感じで景色を眺めながら老後を過ごすのも良いな、と思いながら、車に乗り込んだ時に事務長が種明かしをしてくれた。奥さんだと思っていた女性は、事務長も良く知っている役場の課長さんの母親で、患者の妻ではないとのことだった。

 翌月に患者を訪問した際もその女性はいた。80歳代の老人がわきに挟んだ体温計が落ちたと言い、その女性が患者の服の中をまさぐってその体温計を取り出してあげる。その動作が、患者も女性もなにか色っぽい。これは、夫婦でないからこうなるのだと合点した。夫婦だったら、軽く「自分で取りなさいよ」と言われて終わりだろう。そうでない何十年たっても色気のある夫婦もあるかもしれないが、かなりレアだろう。ふたりで近くの「仲良し会」に出かけていくとのことなので、隠す必要もない関係ということだ。

 このような例は、他にもある。先日、訪問診療のために病院の駐車場を出ようとするときにゆっくりと前を横切る軽乗用車に乗っていたのは80歳代のカップルだと事務長が説明してくれた。毎日病院の待合室でデートしているのだと言う。

 また、最近ときどき失神発作を起こして来院する患者に心配そうに付き添ってくる女性も別姓で、妻ではない。このカップルはふたりとも少しボケていて、どちらに説明しても理解してもらうのが大変なのだが。

 この人たちは、みんな高齢で、ほとんどが元のパートナーを亡くした人達のようだ。

 それぞれのカップルがどれだけ生活を共にしているのかわからない。また、この町でこのようなカップルがどれだけいるのかわからない。この病院に来るまでは地域医療にそれほど深くかかわってきていなかったので、この町だけ特別多いことなのかもわからない。それぞれがパートナーを早期に亡くしているのだから(そうではない可能性もあるが、そうでなければ皆に温かい目で見守ってもらえる立場にはなりにくいだろう)、妻や夫を亡くして大変な時期もあったろうし、医療を行う側としては、それを防げなかったのかという検証が必要な問題も孕んでいる。

 これらのカップルがどのようにして成立したのか。これは、この年代の人たちの特性なのだろうか。この地域の特性なのだろうか。都市部ではどうなのだろう。アメリカなどの男女の関係が変化し、離婚や再婚が頻繁に行われている国においては、こんなことは常識なのかもしれない、とも思う。

 人の寿命が延びていくなか、「教育」「仕事」「引退後」の3ステージの人生から、それらのうち特に「教育」「仕事」が入り混じったマルチステージの人生への変革を説く論説は多い。男女の関係も当然それに合わせてマルチステージ化が必要になる。ちょっと特殊ではあるが、これも男女関係におけるマルチステージ化の一パターンなのかな、と高齢化の最先端を行く町から言ってみる。