60過ぎの勤務医が田舎町にセカンドハウスを建てる。(1)職場の近くに家を建てよう。

突然ヘンな話になって申し訳ないが、こんなことにもなっている。これはまだ進行中のはなしなので、書けるところまで。現在進行形なので、かなりゆっくりとしか話が進まない。最終的に家が建たない可能性もまだある。

 

年をとるとセカンドハウスが欲しくなるもののようだ。これまでの勤め先で、その近くに家を建てたいとは考えなかったのに、60歳でこの病院に来てから考えるようになった。いろいろある〇〇欲と呼ばれるもののなかでセカンドハウス欲はかなり年をとってから出現するものなのかもしれない。

わざわざ職場の近くに住むこともないのにと思う人もいるかもしれないが、変な話、この仕事が比較的好きなのだ。そして、長い通勤時間は好きではない(小学生のころから長距離通学・通勤が多かった。近いところから通いたいという願望が子供のころからあった)。

40歳代半ばで大学での勤務をやめてから3つ目の職場になる。勤め先を変わるたびに距離的には少しずつ自宅に近づいてきている。しかし、ここには電車も通っていないし、バスも朝晩一往復くらい。通勤手段としてマイカーしか選択肢がないという職場は初めて。田舎の一本道で、すいている時間帯を選べばそれほどストレスなく通えるが、ときどき渋滞するし、1時間弱の通勤時間のなかでちょっと集中が途切れることもある。それに、私より稼ぎの良い妻に毎朝、はやくから食事を作ってもらうのも申し訳ないし、妻の方も正直ツラくなってきている様子だ。

私の父も妻の父もセカンドハウスを建てた。ふたりとも開業医で、開業医がとても儲かるころに働いていたため、金銭面では苦労することなく、セカンドハウスを建てた。しかし、彼らは生活の場と職場が近接しており、そこから離れることが快適ではなかった。そして、ほとんどそこに行くことなく、死んでしまった。私もセカンドハウスを建てたら、ほとんど住むこともなく死んでしまうのかもしれないという危惧がある。それに何より、金銭的にはセカンドハウスを建てるなんて、薄給の勤務医にはかなりギリギリのラインである。というか、それ以前に、自分の預金残高を知らなかった。つつましい生活というのが大嫌いな妻が、私の給料を生活費に充てていたので、あまり貯まっていないだろうなという予測があった。知るのが怖かった。

そこで、妻に、この田舎町に“ゆくゆくは”家を建ててそこから通勤したいと話をした。60歳を過ぎて“ゆくゆくは”というのもないが、100歳まで健康に生きることを計画すれば、“ゆくゆくは”でも問題はない。この病院の病院長になって給料がとてもよくなったので、それを数年貯めれば、土地代はほとんどタダのようなものだし、できるだけ小さい家にすれば何とかなるかなあという無鉄砲な考えからだった。

恐る恐る話を切り出したのだが、この話に本人よりも妻の方が乗り気になった。土地を買って、家を建てるという行程が好きなのか、面倒な夫となるべく離れて好きに暮らしたいと思っていたのか、わからない。土地を探してきたのも彼女だった。一年以内に家を建てる計画がなければ土地を買えないという町独自のルールがあるので、“ゆくゆくは”という話ではなくなってしまったのに驚いたのは本人のほうだ。不足分があれば、彼女名義の貯金から充てるとも言ってくれている。

(2023年8月に妻と娘がコロナに罹ったため、10日間ほど、今はだれも住んでいない妻の実家の建物に逆隔離のため別居するという経験をしたが、この間、妻は自由に暮らし、私も、いまは物置になっている妻の実家の一室でコンパクトな生活をエンジョイできた。自炊生活に対する自信も芽生えた。妻は、この後、さらに、このセカンドハウス計画に前のめりになってきていたので、妻は、私が考えるよりも前から、自分の趣味に合った生活を追求したいという思いが強くなってきていたのだと思う。)

ついでにというか、これも結構大事な要素なのだが、景色が良いところで病院の近くに小さな家があればいろいろ活用できるかという思いもあった。いろんな人に使ってもらってもいい。私が少し長めの休みを取る際にアルバイトのお医者さんに住んでもらってもいい。この小さな田舎町で毎年音楽フェスが開催される。フェスのあいだフェス好きの看護師さんに使ってもらってもいい。何かの集まりに使ってもらってもいい。自分が集まりを催すのであれば、自分のコンテンツを増やさなければならないなどとも考えた。しかし、このことは妻には話さなかった。他人のために彼女のお金を使うことを彼女は好まないだろうと考えていた。

いずれにせよ、土地の売買の契約をして、建設会社を選んで、家の設計をしてもらってと、家を建てる計画までは、本当にとんとん拍子に話が進んだ。