我が家の敷地にはサンショウウオが住んでいる

 

サンショウウオ?

もともと畑の用地だったせいか、我が家の敷地内に水路とも呼べないような溝があって、水が溜まって淀んでいることが多い。

妻は9月の連休中遊びに出かけるので、帰ってこなくてよいと言われてしまった。

ということで、ちょっと前の話になるが、9月の連休中に我が家の脇の溝の掃除をした。

で見つけたもの。

これサンショウウオだよねえ?

いまは、水の流れを良くしたのと、雨がない日が続いたあとで、涸れた状態になっている。もうすこし上流にでも避難できたかな。

運動しないと起きてくること

もう1年近く経ってしまったが、冬に両足の足底部を痛めて しばらく走らない日が続いた。

雪が降ったりして、地面からの雪のはね返りや寒さを防ぐために、いちばん厚底のホカのボンダイと(いつもの足指が分離した靴下ではない)山登り用の温かい靴下を履いて、一週間くらい走った。そのあと、いつものランニングシューズに戻したが、靴下は温かいのを続けていた。ボンダイの頃から中足部が痛くなって、だんだんひどくなってきて、走れなくなった。

30分程度のジョギングで、他のひとに比べたらかなりゆっくりなスピードだし、ボンダイ以前は特に強い痛みを感じなかったのだから、運動神経の悪い80㎏近い高齢者が無理したからというわけではない。

いつもの足ゆびの分かれた靴下でなくなって足ゆびに力が入らなくなったことと、ロッカー構造の強いホカのランニングシューズで、浮き指状態で中足部から地面にぶつかっていっていたことが原因だろうと考えた。

ネットで調べてたどり着いた病名は、「中足骨骨頭痛」や「モートン病(神経痛)」あたり。

走れない間、同じくらいの時間、歩くようにしていたが、歩くだけでも痛くて、歩く回数も減っていた。

その間、身体じゅうに異変が続いた。ほんとうにいろいろなところが痛くなった。
何が起きたかを順不同で並べる。

右手の指の腱鞘炎(整形外科外来が長かった佐久間看護師が一瞬で診断してくれた。治療のオプションも教えてくれたが、それには従わなかった)。右の人差し指が動かなくなった。朝、人差し指が全く動かなくなって、うまくすると日中にすこし動くようになる。そしてまた一晩寝ると人差し指が動かなくなる、ということが2~3か月続いた。人差し指が付け根から全体的に全体的に腫れていた時期もあったし、親指を含めた右手指全体に症状が広がっていた時期もあった。ジクロフェナク等の塗り薬・張り薬は逆効果だった。(平日は一人暮らしなのでメンソールの強いにおいを気にせずに)夜ごとにメンタームマッサージ薬を右手の指先から肩まで塗って、自分でやさしくマッサージすることでゆっくりと良くなっていった。

右の尻から外側にかけての痛み。梨状筋症候群と自己診断した。一時期クルマを運転するのがつらかったし、夜中に呻きながら寝返りをうっていたこともあった。梨状筋症候群に有効だというストレッチングをyoutubeで探してきて何回かやった。少し楽になった。イブプロフェンの市販薬を飲み始めてから良くなった。

肩が痛くなることも頻回にあった。右も左も痛くなった(同時に両側というのはない)。突然痛くなって、数日(場合によっては1日でよくなる)、バイオリンの練習ができなくなる日が続いて、何もなかったように痛みが消えてしまう。

こういうことが半年以上続いた。つらかった。そんななかで、何の根拠もなく、走らないことが原因なのだと考え始めていた。

足底部の痛みが少しだけ和らいだのを見計らって、走ることを再開した。まずは、歩くように。走る(歩く?)ときの靴下を足ゆびの分かれた手袋タイプの靴下に戻した。また、走るときの靴を、足ゆびの広がった、平らな(ロッカー構造のない)ベアフットシューズにした。最初は、アルトラのランニング用でもない普通の運動靴で歩き始めた。今はトポのランニングシューズで走っている。普段の靴もベアフットシューズにした。

最初にアルトラを履いたときの感動は書いておきたい。ここ数年、走るときに足抜けの良い前足のある程度反りあがった靴を履いていた。それが、手袋タイプの靴下を履いて、アルトラを履いたときに両足の第4・5趾に力が入って、地面をつかんでいる感覚がそれまでとまったく違った。これは転倒予防になる、高齢者の転倒防止にはこれだ、高齢者はこういう靴を履かなけれがいけないと思った。これもあるから、自分の普段使いの靴もベアフットに変えた。

いまのランニングシューズであまりスピードは出ない。同じ30分で走る距離は短くなった。それでも、それまで感じていた全身の不快な痛みは、ほぼなくなった。右手人差し指DIP関節あたりの違和感、右の尻の奥のほうのほんのりとした痛み、走っているうちに消えてしまうような足底部の痛み、それぞれすこし残っている。まだ朝晩のイブプロフェン内服はやめられない。それでもほんとうに多種多様でつらい痛みは消えていった。

動かないことで痛みが出ることは「『痛み』とは何か(牛田享宏著)」にも書いてあったが、「走る」という行為をひとつやめただけでこれほどのことが起きたということ。

今回の経験から;
・ひとまずは、マグロが泳ぎ続けなければいけないように、走ることを続けなければいけない、という強迫的な観念をもつに至った。
・私の外来では、高齢の全身の痛みを訴える患者に対して、すこしでも動くように話をすることが増えた(大学から来てくれている整形外科の先生も薬や注射よりもストレッチや運動を患者に勧めることが多いようだから、まちがった方向ではない)。

産業医の資格を取得した件

65歳にして産業医の資格を手に入れた。昨日の郵便物の中に資格「証」の入った封筒が混じっていた。

去年、呼吸器専門医の資格が失効した。その前にICDの資格もなくしていた。残っている資格は呼吸器指導医だが、呼吸器専門医の資格のない呼吸器指導医なんてものはないから、事実上無効な資格である。これも今年失効する。役に立たない資格のために点数稼ぎのための学会出張や講習会出席など行く気にならない。高齢者に、というか、病院経営者にそんな時間的な余裕はない。そんな状況で手に入れた新たな資格だ。それもこのトシで。

産業医の資格は、この病院に来た時から必要だと言われていた。言われたのが60歳の時だからもう5年前になる。当時副院長だった経営者としてもやり手の看護師(私が正式に着任したときには転職して、いなくなっていた)から、経営の面から産業医資格が必要だと言われていたので、なんとか取ろうと考えてはいたが、なかなか講習の機会がまわってこなかった。産業医大の講習や医師会が東京でやる講習会に申し込んだこともあったがダメだった。年齢制限でもあったのだろうか?

去年の秋、町の小中学校関係者からうちの事務に産業医の派遣依頼が来た(ようだ。うやむやのうちに話が進むのが、田舎町の役場の流儀らしい)。従業員数50人未満なので、急ぎではないとのことだった。うちの病院で唯一産業医資格を持っているドクターは、町内の工場や役場などいくつも関わっており、また、値段も高い。相場を知らない役場の一部署の依頼には快く応じることはないだろうと思っていた。

そこで去年の10月、ダメもとで産業医の講習会の検索をしてみたところ、2週間後から開催される研修会があることがわかった。それも、医局の後輩が教授をしている診療科が事務局になっている。そのメールアドレスに受講したい旨のメールを送るとすぐに「お久しぶりです」からはじまるメールがかえってきた。私が大学にいた頃(20年くらい前)に働いていた秘書さんが事務を担当しているようだった。本来は完全にアウトだったのだろうが、受けさせてもらえることになって、慌てて手続きを行った。

それから、11月、12月、1月と毎月一回ずつ土曜・日曜がこの研修のために潰れた。しかし、知らない産業の工場・現場に行ったとき、知らない化学物質に遭遇したとき、ストレスチェックや精神的な問題に遭遇したときなど、今後向き合わなければならない事案の多さに戸惑いを覚えつつも、新しい学びで飽きることはなかった。事務局に知った顔がいっぱいいて、医局の同じ研究グループにいた先生が講師で登場したりして、期せずして旧交を温める場にもなった。

しかし、まわりを見回すとまだ卒業前の大学生かと思えるような屈託のない若者や、過酷な当直なんて一回も経験したことないだろうなと思えるような女子、講義中も休憩時間も携帯のゲームから離れられないひと、いろいろなひとがいた。これが全員「直美」に次ぐ「直産」の若者たちだとは思わないが、どんなかたちでも、なんとかみんな社会の役に立つようになってほしいと思った。

次長に産業医になったことを伝えた。町内の小中学校の職場巡視が始まることになるだろう。病院に研修会の費用を出してもらっているし、個人的にこれで収入を増やそうとは考えていない。もうすでに十分な給料をもらっている。すこしだけ病院の収益が増える。個人的には、ちょっとだけ新しいことが始まる。

93歳の母がTAVI治療を受けた件

私の家族やこれに関わったひとたちがこれを読んだら不愉快に思うだろうなと思いながら書いている。しかし、赤の他人についてだと、このようなことは書けない。

93歳になる母が、経カテーテル的大動脈弁置換術(TAVI)を受けた2か月後、10月初旬に台所で転倒して、肋骨骨折・脾臓損傷を起こして、入院した。腹腔内にわずかだがフリーエアもあったらしい。市内の病院を救急受診し、一旦帰されたが、CTで脾臓がおかしいからと再度呼び出され、なんと隣の県にある(偶然にも私の息子が働いている)大学病院の分院に転送された。行き先が孫の勤めている病院だとわかって、救急車の中でしきりに孫の名前を言っていたらしい。

母は一人暮らしで隣近所のひと達や、父が死んでから付き合い始めた母よりかなり若い男性なんかに世話になりながら暮らしていた。以前父が開業していた医院の2階部分が住居になっていて、この家の階段の昇降や数百メートル離れたスーパーマーケットへの買い物は出来ていた。スーパーの買い物に何回か付き合ったことがあるが、途中、1回くらい立ち止まって、少し休んでから歩くという感じだった。息が切れるのだということだったが、それほど呼吸が促迫するような感じではなかった。93歳としてはそこそこ良い方なのではないかと思っていた。

その母が8月の初めにTAVI治療を受けた。上述の息切れが母には不満だった。かかりつけの医師の一人に相談したところ、循環器内科の若い医師にまわされ、そこで狭心症と診断され、さらに、心臓の専門病院にまわされた。本人と、付き添った姉のはなしでは、冠動脈の石灰化が激しいからという説明だったらしい。

心臓の専門病院では冠動脈よりも大動脈弁の石灰化が激しくて、大動脈弁狭窄の方がメインの病態だということになった。体質もあるだろうが、ほとんどのカロリーを甘いもので摂取するような生活をしていれば、全身の血管・動脈が動脈硬化・石灰化を起こすのも当然だと思うが、そんな健康についてのリテラシーをいまさら93歳に求めてもムリだろう。ということで、すぐにTAVIをしましょうというはなしになったらしい。本人も付き添った姉も治療方針について全く疑うことなく、次の段階に突き進んでいった。

大動脈弁狭窄症(AS)の心不全と言えば治療が難しい、患者にとっても結構つらい病態である。軽症であっても明らかな心不全があって、ASが確認できれば、専門医に紹介する。何回か母と近所を歩いた経験から、狭心症の診断よりはこっちの方がそれっぽい診断かなとは思ったが、専門医でさえ狭心痛とも息切れとも判断しづらいような微妙な症状で、そこまで重症なの?という心の中のわだかまりを抱えた。

もう一度書いてしまうが、自宅の階段を上り下り出来て、近所に買い物に行ける。運動不足の93歳の母が途中1回くらいの短時間の休みで歩き続けられるというのは、上等な部類だ。両足にむくみはあったが、朝には消えているということだった。私の外来に来る高齢者と比べても結構優秀なほうだ。心不全の症状と言われれば、そうかもしれないが。

一応、姉にはそこまで必要なのかなと弱々しく聞いてみたが、専門家の言うことなんだから従うしかないじゃないかと一蹴されて終わった。遠いところから母の緊急入院や通院のたびに駆けつける姉には感謝しかない。不安がる母親には電話越しに「大丈夫だよ」としか言えなかった。あんたはトシなんだから、こんな治療は必要ないんじゃないの、なんて言えない。

ということで、8月初旬に母はTAVIを受けた。数日で退院する予定だった。しかし、その後、大動脈の一部に解離が起きたとのことで、一度ICUに戻され、結局、入院期間が3週間に伸びた。全身の動脈が石灰化しているような超高齢者では、ある程度想定される範囲内の合併症だろう。病院側も大して慌てることもなく、淡々とこなしていった印象である。

安静期間が少し長引いただけだったが、退院後はかなり全身の筋力が落ちていた。退院後、入浴させに行ったときは、浴槽から出られず、なんとか引きずり出した。しゃがんだ時に立ち上がることが出来なくなっていた。翌週には姉が来るし、それまでイノラス飲んで、スクワット運動して、立ち上がることが出来るようになってねと言って、帰ってしまった。そのときにきちんと対策をしていればよかったのだ。週1回のデイケアと毎日の宅食便、隣近所の御好意でどうにかなると考えてしまったのがダメだった。

それから1か月ほど、母は2階だけで生活していた。イノラスも飲まなかったし、運動もしなかった。誰かが持ってきてくれる食事を食べ、横になっていることが多くなっていたようだ。93歳の老人だ。意欲も低下するのだろう。10月初旬に受傷するまでのあいだにもう一度母を訪ねているが、その時も自力で立てないようだった。それを隠すような素振りだったので、それを良いことに、母と食事だけして帰ってきた。食欲だけは落ちていなかった。

そして、冒頭に書いたように、10月初旬に室内で転んで受傷した。この時も姉に、このままそっと安静にしておくだけっていうのはダメだろうかと、一回だけ言ってみたが、そんなことできるわけない、今は、担当する医者たちの言うとおりに動くしかない、今は考えるときではない、という厳しい反応がかえってきた。片道2時間くらいかけて駆けつけて、これから長い時間救急車に乗らなければいけない姉に対して発するべき言葉ではないことはわかっていた。

大学病院では、着いてすぐに脾動脈の塞栓術が行われ、外傷ケアユニットに入院になった。翌日には上部内視鏡検査も行われ、何回かCT検査も行われた。入院中、MRSA菌血症を起こして、2週間程度抗MRSA薬の点滴が続けられた。そして、血液培養陰性が確認され、母の希望する病院に転院になった。

12月現在、母は、かかりつけにしている病院に入院していて、そこでリハビリを続けている。この病院も急性期病院なのに長く入院させてもらっていて、非常に申し訳ない。まだつかまり歩きだが、母は自宅退院を目指している。しかし、これ以上隣近所の世話になるのはもう無理だ。これまで付き合ってきた男性ももうムリだと言ってきた。姉も私も、施設入所を考えているが、本人をどう説得しようか、見当もついていない。

母に掛かった医療費について考えてみる。ネットで見つけた情報によると(合併症のない)TAVIの一般的な入院で560万円だという。その前の外来検査などは含まれていないとのこと。母の場合、最初の入院だけで一千万円近い医療費がかかっているだろう。そして、2回目の入院も同程度の医療費がかかっているものと思われる。個人負担は微々たるものだが、これまでの数か月で軽く一千万円を超える医療費がかかっている。まだ、入院が継続されているので、これからも母にかかる医療費が膨らんでいく。

うちの病院で一千万円稼ぐことを考えてみよう。うちの病院では、患者が1か月入院しても50万円をすこし超える程度だ。急性期疾患で1~3週間入院しても10万円から30万円程度だ。看護師たちが一生懸命ケアをしてこの値段だ。同じ額の病院収入を得るのに、何十人も入院させなければならないという計算になる。こんな病院では、どんなに人手がかかっていようが医療費は安く抑えられている。値上げもされない。母に施された“華やかな医療行為”と限られた国の医療費のパイを奪い合っているのかと考えると、母が憎らしく思えてしまう。

結果として(まだ最終的な結果は出ていないが)、自宅でギリギリの一人暮らしをしていた93歳の高齢者に対してとんでもない高額な医療費をつぎ込んだ挙句、自立困難な老人を作り上げてしまった。

母が最初に相談したかかりつけのドクターは、母のバックグラウンドを知っているので、適当にあしらうわけにはいかない。丁寧に扱ってくれた結果なのだろう。最初に診た循環器内科のドクターにも何の落ち度もない。また、TAVIをやる専門病院であれば、比較的元気な高齢者で適度なASを診たら、TAVIを是非やりましょうという流れにしかならないだろう。93歳という年齢は、彼らにとって何の障害にもならない。かえってチャレンジ精神に火をつけただけだっただろう。今の医療システムで、これがダメだとは言えない。彼らも病院が赤字にならないように必死に戦っている。また、転倒して脾臓を損傷したときにも、高齢なので、もう、そっと様子を見ましょうとは救急病院で言いにくい。治療した大学病院も最善を尽くすのが基本だ。そのときどきで誰も悪くはないように思える。

しかし、母や姉、私を含めてみんな善良だが、みんな少しずつ悪い、と思う。これは、結果が出てしまってから言っている、後出しじゃんけんのようなはなしで、すべてがうまくいっていれば、母も前のように一人暮らしが出来ていたわけで、このようなことを考えることもなかったかもしれない。TAVIと言われたときの軽い違和感もすぐに忘れていただろう。それでも思ってしまうのは、これだけのリスクがあるのだから、年寄りなのだから、と、どこかの段階で思い留まっていても良かったのではないかということだ。

高齢者の医療を制限しましょう、というはなしではない。そっちに話を持っていきたくはない。しかし、関東地方など、どんな医療でも選択できてしまうような地域では特に考えてほしい。高齢者に良かれと思って医療を行うことによってその生活を奪ってしまうリスク、国の医療費という限られたパイをこういうことで消耗してしまう理不尽さ。

今年の初冠雪

初冠雪

去年より はやい。すぐに溶けてなくなってしまうのだろう。

クマの出没情報もあり、夜に外を走るのも、皆から禁止されているし、朝に外に出る時も、一応まわりを見まわしてからになる。

何んとなく、清々しい気分では景色を眺められない。

「老人」の仲間入り

今年度、帯状疱疹の予防接種の対象年齢になっていて、春にその連絡のハガキが届いていた。自分の勤めている病院でやろうと思ったが、うちの病院の事務担当者が問診表を自分で取り寄せてくれというのでしばらく保留にしていた。

ということで、人間ドックを受けた帰りに、住所地の区役所に問診票をもらいに行った。区役所の人はとても親切で、ほかにも予防接種できるものの問診表をセットで持っていけと言ってくれた。1か月後に65歳になるというと、65歳になってから受けてね、と親切に教えてくれた。

インフルエンザ、コロナの問診表をもらってきた。肺炎球菌も対象年齢になるが、細菌感染は基本的に体力・免疫力の低下した人が二次感染で罹るものだし、抗生剤でどうにかなるし、ニューモバックスの莢膜糖鎖抗原単体というのも気に入らないので、これはもらわなかった。

しかし、肺炎球菌を含め、出てくる問診表の題名がすべて「高齢者XXX予診票」となっているのだ。「高齢者」「高齢者」「高齢者」と何度も念を押された感じだ。区役所職員の優しさも「高齢者」に対するやさしさだったかと勘繰ってしまう。

そして、今週末、家に帰ると、介護保険被保険者証が届いていた。これで完全に老人の仲間入りだ。

何事にも若いつもりで行動してしまう。これで悪いことはないと思うが、客観的な現実として「老人」の仲間入りをしたという事実を認識していくことも必要なのかもしれない。